呼称としての親族名称(1) {1}
Date: Thu, 02 Jul 1998 From: kazuo kato
加藤@岩手医大です.
1979年夏に University of Reading の CALS(Centre for Applied Language Studies) で研修したとき,"Individual Project" で英語の親族名称について小規模な現地調査をしたことがあります.その結果は "When does MUMMY become MUM, Daddy?--Address by kinship terms and its variation," 「岩手医科大学教養部研究年報」No.14,pp.89-97 にまとめました.少し古い話で恐縮ですが,言語の用法と辞書の限界についての話題提供にはなるかもしれません.
親族名称についての関心は個人的なものです.私は秋田の農家の生まれで,子供のころは父母を「おど」「あば」と呼んでいました.ところが,高校生のころになるとその「土くささ」のようなものが恥ずかしくなりだして,「おやじ」「おふくろ」に切り替えました.そして,自分の子供が生まれると,「じっちゃ」「ばっちゃ」に変えました.そういうことが英語でもあるのかというのがことの始まりです.(以下の引用ではイタリックは大文字に変えてあります.)
昔の中学・高校用の英語教科書の問題点を指摘した研究紀要に Some Problem Spots in Current English Textbooks(愛媛大学教育学部 英語教育研修所,1959)があり,その p.17 に "Don't open my bookcase, Daddy!" という教科書の文について「DADDY は小児語.中学生の年齢では too old to call his father "Daddy" である. MAMMY も小児語.」というコメントがあります.ところが,1963年から1964年にかけて Austin の Texas 大学に留学し,あるパーテイに招かれて中年の歯科医と話をしていたとき,話題がたまたま私の家族のことになり,私は自分の父のことを "my father" と言っていたのですが,彼の方では,"your Daddy" と言い,時々私の "my father" が気になると見えて,"your father" と言い直したりしていました.
後で,北東部出身の小児精神科医 Robert Coles の Children of Crisis (Delta Books, 1967) という南部の人種差別撤廃運動下の人間群像を描いた本を読んだとき次のような個所を見つけて,「なるほど」と思いました:
"Daddy [Southern fathers can be 'daddy' to their children forever without embarrassment] had a bad temper, and I took it all myself."
(このことについては1974年1月号の「英語青年」の「英語クラブ」というコラムに書いたことがあります.)
次は同一人物の同一時期の親族名称の使い分けについてです.Ernest Hemingway の短編小説に "Indian Camp" というのがあります.これは主人公の少年 Nick が医師の父親に同行してインデイアン部落に行き,父親がジャックナイフとつり用のテグス糸というきわめて原始的なやりかたで帝王切開手術をする場面と,妊婦の夫の自殺を目撃する話ですが,その島へ行くボートの中で Nick 少年は "Where are we going, Dad?" と言います.しかし,帰りのボートの中では "Is dying hard, Daddy?" と父親に質問します.
Defalco, J. (1963), The Hero in Heminway's Short Stories (University of Pittsburg Press) はこの違いに注目して,Dad から Daddy への切り替えはNick の "rever[sion] to infantile dependence" を表すと分析しています.この短編の日本語訳は「どこへ行くのよ,おとうちゃん?」「死ぬっていうのは苦しいことなの,おとうちゃん?」です.ここで私は翻訳を批判しているのではなく,英語の親族名称の用法の一端を示すのが目的です.Dad と Daddy のこの差は多分翻訳不可能でしょう.(ただ,主人公の年齢を考えると「おとうちゃん」よりは「おとうさん」の方がよかったのではないかという気がします.)
以上,呼称としての親族名称の用法に関係する要因としては,年齢があるが,地域差も無視できないこと,また,同じ個人でも状況によっては両者を使い分けることがあることを指摘したつもりです.
更に,社会階層・階級的な違いも考慮に入れなければなりません.次の引用は,英国の "working class" 出身の作家 Stan Barstow, A Kind of Loving (Penguin Books, 1962) の一節です:
'He's really hardly ever at home,' Ingrid says. 'Mother says it's like being married to a sailor.' (I notice the way she says 'mother' and not 'my mother' or 'me mam', and this puts her family a notch above mine straight away.) (p. 104)
このほか,血縁関係の濃淡というような要因もありますが,今回はここまでにします.
[lex] 呼称としての親族名称(2) {1}
Date: Fri, 03 Jul 1998 From: kazuo kato
加藤@岩手医大です.
前回の分に Stan Barstow, A Kind of Loving の一節の引用がありましたが,その中の 'me mam' の 'me' は "my" の意味で,発音は [mi:] ではなく[mI]です.次の引用は前回の私個人の父母の呼び方の記述の英語版みたいなものです:
As a simple illustration of language selected in response to the interrelationships of speakers, consider the vocative in English sentences and the case of the middle-class young Englishman, perhaps of public school background, addressing his mother. The often observable use of her Christian name may give offence to some but reflection shows that the options open to the young man are few. MUM has class connotations which he may not 'overcome', if at all, until he is a good deal older, MUMMY became impossible for him to use from the age of 10 or 11 or thereabouts, and MOTHER might suggest to some a measure of old-maidishness or the status of a bachelor living with his mother. There seems therefore to be few available choices other than the use of the Christian name or the adoption of a deliberately jocular form such as MA.
----Mitchell, T. F. (1971), "Linguistic 'goings on': Collocations and other lexical matters arising on the syntagmatic record," Archivum Linguisticum 2 (new series), 39-40.
一般的に言って Mummy,Mommy, Daddy などように -y という指小辞のついた呼び方は幼児語であり,上の引用にある通り -y のつかない形に「卒業する」のが普通ですが,-y 形がまったく用いられないということではなく,前回の Hemingway の引用で見たように使い分けをすることがあります.私が面接した中学生ぐらいの年齢の少年は次のように言っていました:
"You use MUMMY when you want to wheedle something out of her, but usually MUM."
また,前回の分でふれなかったことに性差の問題があります.Schneider, D.M. and Homans, G.C. (1955), "Kinship terminology and the American kinship system," American Anthropologist 57 (no. 6, Part 1), 1194-1208 によると米国社会では次のような傾向があるということです.つまり,女性は daddy のような指小形を使い続けることに男ほど抵抗を感じないということです.(しかし,この論文は50年近くも前のものですから,最近のアメリカでは少し様変わりしているかもしれません.日本でも最近では自分の両親について教師に語るとき「お父さん」「お母さん」と言って平気な大学生が沢山いますから.)
daddy-->dad daddy-->daddy
MALE { FEMALE {
mommy-->mom, ma mommy-->mother
私が面接した一人も "Girls tend to go on saying DADDY and MUMMY more than boys." と言っておりました.小説や伝記などから集めた手元の用例も同じような傾向を示しています.しかし,多少後ろめたい思いをしながら daddy を使い続ける人もありますし,まったく当然のことのように使っている人もいて,個人の感じ方にはかなり大きな差があるようです.
前回米国南部では大人になっても平気で daddy を使うという観察をしましたが,英国の場合は階級差という要因もありそうです.Informants のなかにはdaddy は "upper class" で "precious" だという人もいました.例えば,John Osborn の "Look Back in Anger" (1956) の登場人物 Jimmy Porter と妻の Alison は Alison の両親(upper middle class か upper class)のことを Daddy, Mummy と言い,Alison は父親がフラットを訪れたとき Daddy と呼んでいます.
調査中に30代か40代の独身女性で母娘二人暮らしの女性(父は入院中で不在)が Mummy と呼びかけているのを目撃したことがあります.この女性は一人っ子だったので,母親との関係の密接さが少し関係があるのかもしれません.ただ,自分で実際にどういう使い方をしているかは別にして,改まって外国人に聞かれるとほとんどの場合 Mummy は「子供っぽい」という答えが返ってくると考えていいようです.
面白かったのは,兄弟姉妹が多数いる場合,下の兄弟は「早熟」で早くから Mum を使い始める傾向があるという観察でした.上の兄弟を見習って「背伸び」をするのかもしれません.
今日はもう時間がなくなりました.次回は「しゅうと」や継母をどう呼ぶかとという問題について報告します.
[lex] 呼称としての親族名 {1}称(1) {1}
Date: Fri, 3 Jul 1998 From: (SATO Hiroaki)
papaとmamaの使用回数を434作品のレーザーディスク映画で調べて,papaとmamaの合計使用回数の合計が多い順に並べます。
順位 Title, Year, mama, papa, papaとmamaの合計使用回数
1 Fiddler on the Roof(屋根の上のバイオリン弾き),71年,18,66,合計84回
2 Heaven & Earth(天と地),93年,19,34,合計53回
3 Anne of Green Gables 2(続・赤毛のアン),88年,31,18,合計49回
4 Driving Miss Daisy(ドライビング・ミス・デイジー),89年,31,2,合計33回
5 Beauty and the Beast(美女と野獣),92年,8,21,合計29回
6 Scarface(スカーフェイス),83年,25,2,合計27回
7 Tina(ティナ),?年,23,0,合計23回
8 "Color Purple, the(カラーパープル)",86年,20,3,合計23回
9 Swing Kids(スウィング・キッズ),94年,16,5,合計21回
注目すべき点が2つあります。
1つは,1,3,5,8,9で描かれた時代が,50年以上昔だということです。
もう1つは,3以外の映画では,主な登場人物が「キリスト教徒白人英米人」以外であることです。1はユダヤ系ロシア人(この映画はミュージカルで,papaを繰り返す歌詞があるため使用頻度が高い),2はベトナム人,4はユダヤ系アメリカ人,5は昔話の世界,6はキューバ人,7,8は黒人,9はドイツ人。
アメリカ映画はインチキですから,ロシア人やドイツ人にも英語を話させます。まともな英語分析の資料には使えません。でも,映画製作者がpapaやmamaを「キリスト教徒白人英米人」以外がよく使う言葉であると思っているらしいことが,映画のデータを眺めていると,伝わってくるような感じがします。映画を観た観客は,映画の言葉遣いに(たとえ,それが間違っていても)言語的な影響を受けるはずです。
"Nature imitates art"--Oscar Wilde
「自然(言語)は芸術(=映画)を模倣する」(佐藤弘明訳)
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佐藤弘明
(SATO Hiroaki)
専修大学商学部
[lex] 呼称としての親族名称(3) {1}
Date: Sat, 04 Jul 1998 From: kazuo kato
加藤@岩手医大です.
佐藤弘明先生,映画の papa, mama の用法についての情報とコメントありがとうございました.
前回予告した「しゅうと」や継母の呼び方について報告する前に,兄弟姉妹間でも呼び方が異なることがあるという事実にふれたいと思います.
あるインフォーマントは二人の娘が親を呼ぶのに別な呼び方をすると報告しました.18歳の長女は Dad, Mum,16歳の次女は Mother, Father というと言うのです.このインフォーマントは,これは二人が通っている学校に関係があるかもしれないと言いました.二人は別々の学校に通っていて,次女の通っている学校は "more academic" なのだそうです.
また,別のインフォーマントは自分の家では一人の娘は Dad で,もう一人はDaddy だと言っていました.
話相手によっても言い方が変わることがあります.これは日本語でも自分の両親について語るときは「父,母」と言っても,本人には「お母さん,お父さん」と言い,自分の兄弟姉妹には「おやじ,おふくろ」を使うといった使い分けと同じ性質のものでしょう.
あるインフォーマントは自分の兄弟姉妹に両親について語るときには Mum,Dad で,甥・姪や友人には My Mum, My Dad (時に my old man), 職場の同僚には My mother, my father を使うと言っていました.
次に「しゅうと」や継母の呼び方の問題に移ります.ここでは「肉親」度とでもいう要因が重要な働きをします.なお,以下のインタビューの引用では FN=First Name,LN=Last Name という略称を使います.
あるインフォーマントは次のように報告していました(テープの英語の固有名詞は伏せました.また,自然な発話なので必ずしも文法的に整っていないところがあります):
My son-in-law calls me Mrs. LN. I think it becomes very difficult when you get married to say to your in-laws, calling them as you called your own mother and father. I couldn't call your [i.e. the informant's husband's] mother MUM. It was always MOTHER. I notice X [i.e. the informant's sister -in-law] always called her MOTHER LN and [her husband] FATHER LN. And I called your father FATHER. But I couldn't call them MUM and DAD like I called my own. Somehow there was, I don' know, there was closeness with your own mother, and although you become very close with your in-laws, there's just a little deficiency that gives you a little formality and respect.
別のインフォーマントは自分のしゅうとを MOTHER, FATHER などではなく,F[irst] N[ame] で呼んでいたと言っていました.
次は継母の場合です.当時ホームステイしていた家庭の20代の娘が実家に遊びに来たときに彼女は父親に Daddy と呼びかけ,父の妻 (step-mother) は FN で呼んでいました.この step-mother 自身は子供のころ里親の母を Auntie と呼んでいたとのことです.
Michael Medved, Hospital (Simon and Schuster, 1982) は米国の病院で働く人々の人間像をインタビューのテープをもとにして記述した本ですが,その中に次のような個所があります:
And I really enjoy my stepsons, though it's a painful situation at times. They see their father every weekend. He's a very successful orthopedic surgeon on the other side of town, and they really worship him. They call me Allen and sort of treat me more like a big brother, though sometimes they call me Dad by mistake.
前回引用した Mitchell は FN しか選択肢が残されないことがあると言っていますが,次のような場合もあります.60代のインフォーマントの女性は結婚した娘たちが実家の親を MUM, DAD ではなく,FN で呼びかけると言うのです:
Another thing I found is that when [our] girls got into [their] twenties, they said, they feel that you're aging and say, 'Do you want me to call you MUM and DAD? Would you rather I called you by your Christian name?' I suppose it's in a way to try and make you feel younger. Maybe when they get married they feel they've also become one of you, you know, you're all matrons, married matrons....
Clinton 大統領は実父を1歳のときになくし,アル中の父親と再婚した母親が家庭内で暴力を振るわれるのを守ったそうですが,この父親のことは何と呼んでいたのでしょうか? しかし,この父親がガンで死ぬときには和解したということですから,そのときは Dad と呼んだのでしょうか?また,彼の母はその後Kelley という男と結婚して,この人と大統領の中は悪くないそうですから,なんと呼んでいるか知りたい気もします.
80年代から使われるようになったことばに,離婚者同士の家族を表す blended families というのがありますが,1991年の国勢調査では米国の約6400万人の子供の15%がこの blended families で生活していると言われます.こういう家族での親族名称の用法は伝統的な家族内でのそれとはかなり異なっているかもしれません.
最後に,「プログレッシブ英和中辞典」(第3版)(1988)の Dad に関する注について私の感想を述べます.この辞書には「実の父 (father) であっても,実際に育てていないと dad と呼ばれない」と書いてありますが,上に見たような複雑な現象についてこのような断定をするにはかなり勇気が要るのではないかと思います.
次回の報告では,子供に向かって自分のことを「お父さん」という日本流のやりかたが英語にもあることを見たいと思います.
[lex] 呼称としての親族名 {1}称(3) {1}
Date: Wed, 8 Jul 1998 From: (SATO Hiroaki)
精子銀行の精子提で産まれた娘が描かれている「メイド・イン・アメリカ」とう映画があります。精子提供者のことを娘がどう呼ぶかが参考になります。精子提供者との関係が深まるにつれて,娘の精子提供者に対する呼び方は,"sperm"==>"guy"==>"father"==>"dad"と変わっていきます。母親や精子提供者は,daddyという言葉を使いますが,高校4年生の娘は,<精子提供者>に対して最後までdaddyと呼んでいません。
#1/1 1993 M06-A LD 00:08:16
■Made in America// メイド・イン・アメリカ
娘: So you bought @SPERM?
母親:Yes, yes, I bought the sperm.
娘:How much did it cost?
#1/1 1993 M06-A LD 00:07:41
■Made in America// メイド・イン・アメリカ
娘: You have no idea who the @GUY was?
母親:No.
#9/34 1993 M06-A LD 00:23:15
■Made in America// メイド・イン・アメリカ
(初対面の精子提供者に対して)
娘: You're my >>FATHER<<.
精子提供者:Whose father?
#13/34 1993 M06-A LD 00:27:48
■Made in America// メイド・イン・アメリカ
娘:I found my father.
母親:Wait. Wait. What does that mean, you found your
>>FATHER<<?
娘:I--I went to the sperm bank, got your file from the
computer and he's my father.
#15/34 1993 M06-A LD 00:30:12
■Made in America// メイド・イン・アメリカ
母親:" Hal's your pal "?
娘: That's my dad.
#1/1 1993 M06-A LD 00:38:14
■Made in America// メイド・イン・アメリカ
母親: My daughter came to you...to pour her heart out, and
you offered her a kidney. Now, who the hell do you think
you are?
精子提供者:Oh, now, wait a second, lady. She
caught me off-guard. I mean, I donate an ounce of sperm
18 years ago, and today, some kid wants to call me Daddy.
母親: Excuse me! She does not wanna call you Daddy.
#32/34 1993 M06-B LD 00:45:51
■Made in America// メイド・イン・アメリカ
娘:He's not my father, Tea. You know the worst part... is I
wanted a dad, and he was my dad.
#33/34 1993 M06-B LD 00:50:12
■Made in America// メイド・イン・アメリカ
(朝礼台の上で全校生徒に向かってマイクで家族を紹介する娘)
娘:This is my mom. And--
精子提供者:Your dad.
娘:And my dad.
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ニューヨークやサンフランシスコでは,同性愛者の家庭で育つ子供がいますが,子供たちは自分を育ててくれている大人をどのように呼んでいるのでしょうか? 食事・洗濯などの世話をしてくれる片方の大人FrankのことをUncle Frankと呼ぶのは,理解できますが,Momとは呼べない感じがします。
科学の発達や,社会の変化で,子供と子供を育てる大人の関係が多様化してきているなか,親子の間の呼び方もさらに変化していくことでしょう。
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佐藤弘明
(SATO Hiroaki)
専修大学商学部
[lex] 呼称としての親族名 {2}称(3) {1}
Date: Wed, 08 Jul 1998 From: kazuo kato
佐藤弘明先生:
加藤@岩手医大です.「メイド・イン・アメリカ」に関する情報ありがとうございました.時々,先生がご覧になっていない映画があるのかな,などと妙な感心のしかたをしております.